プロレス激闘列伝! タイガーマスク編④


この記事はプロレスラーとして一世代を築いた、
初代タイガーマスクを中心に
マスクマンになるきっかけから
タイガーマスク引退までを記事にしています。

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前回の記事では
宿敵ロコとのマッチで辛くもタイガーマスクが防衛した
試合内容までを記事にしました。
この後のタイガーマスクは・・・

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怪我との戦い

試合から数日経ったあと、
新日本プロレスのボス-アントニオ猪木が、
足の故障がひどく手術が必要なため戦線を離脱。

この当時は興業的に
アントニオ猪木、坂口征二、タイガーマスク
の3枚看板でけん引していました。

この時タイガーマスクは、
古傷がある右足をロコ戦で再発させていたことを言えず、
試合を重ねていたのですが激痛に耐えられずついに

全治3週間の右ひざじん帯内側損傷

と診断されたため、
王座を返上した上で休養に入ります。

レスラー生命をかけた決意

ケガで欠場していたタイガーマスクは、
1982年5月25日に NWA王座戦
翌26日には WWF王座戦
とまさにレスラー生命をかけた試合プランを
組むことになったタイガーマスク。

しかもタイトルマッチです。

この時のNWA王座はレス・ソントン
WWF王座はブラックタイガー

NWAタイトルマッチは当時、
ジャイアント馬場氏が率いる
全日本プロレスと先に手を組んでいたため、
新日本プロレスには挑戦のチャンスがなかったため
新日本プロレスとしても記念試合になる程の
大きな意味をもつタイトルマッチだったそうです。

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2連戦での王者奪還

レスラー生命をかけた試合は、
25日 レス・ソントン戦から。

この試合は序盤タイガーマスクのペースで試合を進めていましたが、
この状況を不利に思ったレス・ソントンは、
ラフプレーに切り替えてタイガーマスクに攻撃します。
実はラフプレーが得意なタイガーマスクは、
得意のジャーマンスープレック、
ローリングソバットを決め勝利しました。

新王者となったタイガーマスクは、
覆面レスラーとして史上初のNWA王座になったことも、
歴史的快挙になります。

この激戦から一夜明けた、
1982年5月26日に WWF王座戦
場所は大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ大阪)。

東京での第1戦はブラックタイガーが優勢で引き分け、
この戦いは因縁の対決として、タイガーマスクの復讐として、
注目された試合でした。

試合はというと、
パワーのブラックタイガーとスピードのタイガーマスク、
両者一進一退で場外に出たブラックタイガーへの
高飛びブランチャーが決まらず結果自爆。

その後カウントギリギリでリングに戻り、
今度はブラックタイガーのエルボーを自爆させ、
攻撃のチャンスを掴みタイガースープレックで決まりか・・・
と思いき急所後ろ蹴りを受けてしまいます。

タイガーがブリッジ状態でブラックタイガーの攻撃を受け、
ピンチかと思いきや・・・・

得意のモンキーフィップからのパイルドライバーが決まり、
最後はトップロープからのムーンサルトプレスで
3カウントを奪いWWF王座も獲得しました。

このJヘビー級の2冠制覇は、世界プロレス史上初の快挙で、
しかも2日間連続の試合は本当の意味で虎伝説を作りました。

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最後に

この試合だけではなく、ライバル小林邦昭との壮絶な戦いが続く中、
1983年8月、突如の引退を宣言しリングを去ります。
シングル戦では無敗の記録を残しての引退でした。

その後もタイガーマスクは何代にもわたり続きますが、
佐山さんのタイガーマスクは異次元の強さがありました。

連載っぽくなりましたが、
タイガーマスクの激闘列伝はこれで終わります。

他のレスラーの激闘列伝も記事にしたいと考えています。

それではまた。

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