プロレス激闘列伝! タイガーマスク編


初代タイガーマスクとして戦った佐山聡。

この記事はプロレスラーとして一世代を築いた、
初代タイガーマスクを中心に
マスクマンになるきっかけから
タイガーマスク引退までを記事にしています。

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佐山聡、悲劇のはじまり。

佐山さんがタイガーマスクなのでは?
タイガーマスクデビュー当時から囁かれていた話は有名。

この佐山さんは「悲劇のレスラー」として、
格闘技好きの間では有名。

その悲劇の始まりは、
昭和52年11月14日 日本武道館で行われた
マーシャルアーツ対全日本キックボクシング
との格闘技大会にあります。

この試合で佐山は
マーシャルアーツ世界ミドル級世界一位、
マイク・コステロと戦います。

マイク・コステロは空手の有段者で
何でも酒場の用心棒だったとか・・・

では何故、佐山が新日本プロレスに所属しているにも関わらず、
キックのリングに上がる必要があったかというと、
当時の日本キック会にはミドル級の選手が少なく、
キックの鬼こと、黒崎会長が仲のよいアントニオ猪木から、
佐山さんを借りてリングに立たせていたようです。

試合内容

この試合ではグローブを嵌めている佐山、
得意のバックドロップ、関節技を決めるも、
グローブをはめていたら技のかかりも悪く・・・

一方のコステロは得意の空手技が炸裂し、
試合を優位に進め・・・

佐山は倒れては立ち上がりの繰り返しで、
計7回ダウンするもなんとか判定負けに持ち込むのが精一杯。

この試合セコンドは 山本小鉄。
リングサイドにはゲストでアントニオ猪木も観戦していたが、
この試合を止めることは一度もなかったようです。

試合後、アントニオ猪木に挨拶するも無視され、
孤独の佐山に手を差し伸べたのは・・・

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キックの鬼との出会いと学び

この試合後、キックの鬼で知られる
黒崎会長から声をかけられ黒崎道場に入門することになります。

この黒崎会長も実は極真空手出身で、
当時タイ式キック界から極真は挑戦を受けていて、
黒崎会長が戦うも・・・相手のひじ打ちでTKO負け。

この経験がある黒崎会長が佐山を入門させたのも、
わかりますね。

それから半年後、佐山は道場にも顔を出さなくなり、
新日本プロレスからも姿を消してしまいます。
流れついたメキシコでの戦い

単身メキシコに乗り込んだ佐山は、
魚市場の中にある最大500人程収容できる会場で、
白覆面をかぶって試合をしていました。

その時、地元の記者と出会っています。
当時佐山は「サミーリー」と名乗っていたようで、
その記者から「ティグレ・エンマスカラド」
と名乗ること勧められたのと、
虎の穴への入門を勧められ
その施設で地獄の特訓を受けたようです。

この施設、虎の穴はまさに格闘技養成施設で、
普通に歩く時間もないくらいだったとか。

そして彼はイギリスに行くことになるのですが・・・

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最後に

この続きはまた次回をお楽しみに!

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