しくじり伝説?新庄剛志さんはこんな人


この記事では、元プロ野球選手の
新庄剛志さんにについてあれこれを記事にします。
プリンスの愛称でプロ野球ファンの多くに親しまれた選手。
しくじり先生出演のため緊急帰国した新庄さん。

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数多くの伝説を作ってきた新庄さん。
その新庄さんから語られる企画外の失敗談は・・・

◇新庄選手はこんな選手

訛りだらけの入団会見を経て
1989年 ドラフト5位で阪神に入団。

阪神タイガースの元スカウト
横溝桂さんによれば、
高校3年時選手評価で既に、
打力・B、走力・A、肩・特A、
だったといい高卒選手の肩に特A評価をしたのは、
新庄さんのみだったとか。

1992年 オマリーの故障で抜擢されるやいなや初球本塁打。

2000年 阪神からニューヨーク・メッツへFA移籍
現役メジャーリーガに変身

2004年 日本ハムに移籍、NPB復帰

2006年シーズンをもって引退

◇大活躍

1989年秋のドラフトで新庄は阪神タイガースから5位指名を受け、
福岡の西日本短期大学附属高校から入団。
甲子園出場経験のない新庄さんは特に目立った選手ではなかった。

新庄さんが入団した当初、阪神は暗黒時代で万年最下位。
プロ3年目の92年は開幕当初から首位戦線を走っていた。
その年の5月に主力打者のトーマス・オマリー選手が怪我で戦線離脱。
阪神ファンが諦めかけていたその時、
突然ニューヒーローが誕生した。それが新庄さん。

オマリーさんの代役として先発出場した最初の試合で
いきなり初打席の初球をホームラン
という離れ業をやってのけました。
まさに伝説のはじまり。

たった一打席でシンデレラ・ボーイとなった新庄さん。
阪神は結果的には優勝を逃したものの、
若い新庄さんは翌年以降の活躍が期待された。

しかし、翌年からの阪神はまた元のダメ虎に戻ってしまい、
暗黒時代は継続された。
新庄も思ったほどには伸びず、主力打者としては物足りない成績が続いた。

上半身のパワーはあるものの、下半身がか弱い。
なぜ下半身を鍛えるトレーニングをしないのかと問われると、
新庄さんは平然とこんなコメントをしています。

「脚が太くなると、ジーンズが似合わなくなりますから」

誰もがビックリ仰天する理由だった。
下半身を鍛えることが打撃力アップに繋がる
というのが野球界の常識だったから、
ファッションが決まらなくなるからトレーニングしないなんて、
とてもプロ野球選手とは思えない。

95年には、シーズン途中から監督代行となった藤田平さんとかみ合わず、
新庄さんから突然の引退宣言。
「僕には野球センスがないから」
というのがその理由。
もちろん、本当の理由は藤田さんとの確執。
しかし、病気だった親のこともあって引退宣言は撤回。

◇二刀流

99年、野村克也さんが監督に就任すると、
新庄さんになんと投手になれと指令した。
今でいう大谷選手のような二刀流である。
新庄の強肩を見込んでのことだろうが、
本気で二刀流をさせようとしたのではあるまい。
おそらく、投手の気持ちをわかってもらおうとしたのだろう。
ただ、野村さんは新庄が投手向きの性格だと思っていたようです。

◇まさかのメジャー挑戦
2000年の暮れ、FA宣言をした新庄さんに対し、
阪神は5年12億円という破格の条件を提示。
しかし新庄さんはこれを蹴り、
年俸僅か20万ドル(当時のレートで約2千万円)でニューヨーク・メッツと契約。
12分の1の待遇でのメジャー挑戦となったわけだが、
一説によると、新庄は0を一つ間違えたのではないか、と言われている。
つまり、年俸2億円だと思っていたのに2千万円だったわけだ。
本当だとすれば、いかにも新庄らしいエピソードである。

メッツに移って四番を打ったりしたこともあったが、
やはり簡単に通用する世界ではなかった。
おまけに新庄は英語が全然喋れない。

◇突然の引退

2004年に日本に戻った新庄さんは札幌に移転したばかりの
北海道日本ハム・ファイターズに入団。
北海道に日ハム人気を定着させた功労者になりました。
2006年、開幕早々に突然引退宣言。
今度は前言を撤回することなく、シーズン終了後に引退。

◇最後に

新庄さんは現在、インドネシアのバリに住んでおり、
野球とは無縁の生活を送っています。

そんな新庄さんの今がどうなのか真実が楽しみですね。

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